人間関係ポートフォリオ理論

加野 孝

20代最後のころ、私は人生で初めて、社会人大学院に入学しました。経営学の大学院でいわゆるMBAです。

私が通った神戸大学の経営学研究科(社会人MBAコース)では、本当に個性的でエネルギッシュな同級生やいろいろな知的刺激をくださる先生がたと出会う機会に恵まれました。

当時の私にとってはそれまでの人生で最も思考力を鍛えられた場でした。

いろいろな考え方に触れる機会がありましたが、その中でその後の人生にとても役立った考え方の1つが、ファイナンスの講義で出てきた「ポートフォリオ分散」の考え方です。

株式投資を行う場合、少数の株式に集中的に投資をすると、ある社会経済情勢になったときに、急速な価値の下落の恐れがあります。

そのため、より多くの銘柄に分散投資をすることでトータルの投資価値の乱高下リスクを抑制し、リスクを最小化しつつ賢くリターンを得ましょうという考え方と理解しています。

この分散投資の考え方を私は株式投資に適用するだけでなく、人間関係にも応用できると直感したのです。

すなわち、会社と家族など、少数のコミュニティーや人間関係に集中的に依存する生き方をするのではなく、例えば習い事や趣味、旧友など、できるだけ多種多様なコミュニティーや人間関係を維持しながら生きていた方が、どれか1つコミュニティーや人間関係における変化の影響を受けすぎず、落ち着いて幸せに暮らしてゆけるだろう、と考えたのです。

このような考え方を私は「人間関係ポートフォリオ理論」と勝手に呼んでいます。

この講義に参加して以来、私は、自分の人間関係やコミュニティーが、できるだけ多様に、そして分散されるように意識して生きてきました。

その結果、幼稚園時代から現在に至るまで、様々な時代の人間関係やコミュニティーと今でも繋がりを持っています。

その多様性を端的に表しているのが「呼ばれ方」です。

私の名前は「たかし」というのですが、

  • 親、兄弟や幼稚園、小学校時代の旧友からは「たかちゃん」
  • 中学・高校・大学時代の友人からは「加野」
  • 留学時代の世界各国の同級生からは「Takashi」
  • 社会人になってからは、所属会社ごとの役割の違いから「加野ちゃん」「孝さん(同族会社は上の名前で呼んでも識別できない)」「加野さん」「加野コーチ」「先生(大学講師の際)」など様々です。

皆さんは、何種類の「呼称」で呼ばれてきましたか?
それぞれの人間関係やコミュニティーにおいて、皆さんはどんな存在でしたか?
それぞれの人間関係やコミュニティーからは、皆さんは何を頂いてきたと思いますか?
それぞれの人間関係やコミュニティーに、どんな貢献をしてきましたか?

人は、一般に長く生きていけばいくほど、様々な人間関係やコミュニティーに関わりを持ち、同時に、様々な役割や責任を持ち、様々な体験をしていきます。

皆さんにも、人生の時代ごとに、様々な人やコミュニティーとの接点が現れ、そこから、様々な喜怒哀楽が生じてきたのではないかと推察します。

私自身を振り返ると、人生の時代ごとに本当に多種多様な役割を担ってきました。

  • 生まれた瞬間からしばらくは「子供」(次男)(弟)
  • 幼稚園以降は、時代ごとに、「幼稚園児」「小学生」「中学生」「高校生」「大学生」「大学院生」
  • その合間に、「下手ながらピアノ、チェロを演奏する学生」、「中学受験生」、「大学受験生」
    「留学生」「ホームステイ」などの時代もありました。
  • その後、結婚を経て「妻にとっての夫」「義理の息子」「義理の弟」「娘にとっての父」など、様々な役割が増加
  • 仕事面では、「法人営業」「役員秘書」「新入社員」を一部上場企業で経験し、家業の会社で「経営企画部員」「総務人事部長」「財務担当役員」「管理部門統括役員」「社長補佐」「関係会社役員」「後継者候補」「創業家の御曹司」「自社の債務連帯保証者」を経験。同時に株式保有もしましたので「株主」も経験。人材開発専業企業に転職してからは「採用部門メンバー」「法人営業」「プロジェクトマネージャー」「エグゼクティブコーチ」「研修講師・トレーナー」「従業員代表」を経験。独立後は、「顧問」「大学非常勤講師」「フリーランス」、そして法人立ち上げ後は、「ベンチャー企業創業者・経営者」、多彩な専門職を束ねる「コンダクター」といった役割を担ってきました。

誰でも時代ごとに様々な役割があり、様々な人間関係があるかと思いますが、それぞれの時代の人間関係を維持しつづけている人はそれほど多くない印象があります。

会う頻度は様々ですが、私は、各時代の知人友人とできるだけ接点や関係を絶やさず、時々再会するようにしており、1つ1つの関係性ごとに独自に感じられる話題や営みをエンジョイしてきました。

また、どこかのコミュニティーにおける活動で調子が悪い時期でも、その影響を受けない別コミュニティーの友人と交流する中で、元気や勇気をもらい、都度復調してきたのでした。

またどこかのコミュニティーで調子が良い時でも、別のコミュニティーの友人と話している中で、調子に乗りすぎず、ニュートラルさを維持することもできたと思っています。

「変化や成長」も大事ですが、軽はずみに変わっていかないこと、つまり「いつまでたっても変わらない自分」も大事ではないかと思っています。

そんな考えのもと、人間関係ポートフォリオ理論を実践中です。

では、どうすれば、このポートフォリオ分散的な多様な人間関係を構築しやすいか?

過去にリソースを求めるアプローチと、これから開拓していくアプローチの2つがあるように思います。

どんな人の人生にも、過去の接点、人間関係を振り返るとそこには多様性が存在していると思います。国籍、民族や性差に関する多様性の探求も重要ですが、すでに獲得している多様性豊かな人間関係をメンテナンス、あるいは深化する余地は残っていませんか?

私はFacebookなどを活用し、古い友人との縁を自分から持ち掛けて復活させていきました。例えば、今年2024年は、フランス留学時代の同級生で、アルゼンチン人の友人とパリで再会。ともに学び、ともに遊び、ともに悩み、ともに人生を語り合った友との再会には感慨深いものがありました。

留学の1年間の最後に友と行ったパリ・リヨン駅のカフェ、ル・トランブルーでの21年ぶりの再会。

同じ場所で21年前に友が語った「For Me, Independency is very important」。

ずっと私の心に残り続け、私を支えてくれている言葉ですが、人との対話は時に人生の財産となると改めて実感しました。

これが過去のリソースから人間関係ポートフォリオ理論を体現する1つのアプローチです。

しかし、過去のリソースだけでは、分散度や多様性の度合いに限界もあろうかと思います。

そこで2つ目の方法ですが、私自身は、新しい習い事をするなどして、できるだけ新しいジャンルの人々と出会うように心がけています。

外国に行くと、日本のことが少しわかるのと同様に新しいジャンルの人たちに交わると、自分の持っているものもわかるし、自分にないものも良くわかります。

私自身は、絵画鑑賞を愛する人達の輪に最近、飛び込みまして、なんとも新しい刺激を日々受けています。そして絵画鑑賞を仲間と行うことを通じ、自分が無意識のうちに持っているフィルターに気づき、仲間のものの見方、解釈の違いに驚き、自己認識を深めています。

皆さんはどんな旧友と再会したくなりますか?
そして、どんな新しいジャンルの人に出会ってみたくなりますか?

酷暑が過ぎて秋が来れば、食欲の秋、勉学の秋、芸術の秋が来ます。
誰かを誘って、交流をするのには最適な季節かもしれません。