視点をリアルに変える

加野 孝

「視点を変えて考えることが大事だ」
よく言われるセリフです。

では「視点」とは何でしょうか。

辞書で調べると、視点は、通常2つの意味で用いられています。
1つは「どこから見ているか」という「立脚点」という意味で、もう1つは「どこを見ているか」という「注視点」の意味です。

ここから鑑みると、「見る際の立ち位置や立場を変える」ことや、「見る際の注視点や観察点を変える」ことが、視点を変えるということになりそうです。

では、私たちは日常生活で、物理的に、まったく普段と異なる立ち位置から世界や社会を見ることがどれくらいあるでしょうか。

概念的に、想像の世界で、「自分が社長だったら」「自分が戦場にいたら」などと想像することはありえますが、本当に物理的に立ったことのない場所から世界を眺めることは、意外に少ないのではないでしょうか。

同じ場所で起きて寝て、同じ景色の通勤経路を通り、同じビルの同じフロア―に出社し、おなじみの景色を窓から見る。おなじみのメンツとあいさつを交わす。

物理的なレベルで見ると、「視点を変える」には程遠い日常を送っていることが多いのではないでしょうか。

ましてや、リモートワークでオンライン会議三昧の方の場合、なおさら、物理的な意味では「視点の変化」が少ないのではないでしょうか。

私は、いろいろな問いかけに満ち溢れた対話をすることで、クライアント様とともに、「視点を変えて世界や社会、自社、部下、自分を見つめる」ということを常日頃、エグゼクティブコーチとして行っています。

しかし、斬新であるべき私からの問いかけも、自分自身が物理的なレベルであまり変わり映えのしない日常生活をしていると、どこか、迫力やリアリティーのない問いに成り下がっていくなあと感じることがあります。

そこで、私はできるだけ、言動の一致をするために、できるだけ、1年を通じて、チャンスがあるたびに、物理的に非日常的な場所に足を運び、リアルに視点を変えて世界、社会を見るように心がけています。

では、実際に、物理的に視点を変えてみると、どんな発見があるでしょうか。
2025年の自分自身の実体験を振り返ってみます。

小豆島

例えば、瀬戸内のオリーブや醤油の生産で有名な小豆島の醤油工場を訪れた時。

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神戸から小豆島に向かうフェリーから見る明石大橋と筆者
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小豆島 オリーブの丘にて、遠くを見渡している気分爽快な筆者
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小豆島で長い歴史を誇る醤油蔵での1コマ

我が国を代表するような隆盛を誇っていたかつての小豆島の醤油産業。
しかし、食文化の変容、醤油全体として需要減少、伝統的な技術や人材の維持・育成の困難さや、代替する近代的技術による大量生産の台頭の中、大企業にお株を奪われていきました。

では、これは小豆島の醤油産業だけのお話なのでしょうか? 自分の所属業界や自社事業をめぐる、市場の変容、社会、文化の変容は、ビジネスにどのような影響を与えているだろうか?

そこに気が付かないまま、日和見的な前提を置いて毎日経営をしていないだろうか?

そんなことを醤油蔵で考えました。

西日本では季節の風物詩と言われて長く愛されてきた「いかなごの釘煮」の減少は、西日本の醤油メーカーに影響を与えてきたと言われます。

皆様の業界で「これは、当面変わらない」と思い込んでいるものが、実は変容していく可能性はないでしょうか。

関西万博

例えば、なんとも凄い確率で関西万博の会場に深夜まで閉じ込められた時。

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夕方、入場の長い列から撮影した関西万博のゲート。この後、長い長い夜が待ち受けているとは知る由もない
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色々あった関西万博についてミャクミャクと語り合っている筆者

単一の地下鉄路線に依存しすぎた構造のリスクが、もろくも顕在化したわけですが、これは関西万博の地下鉄中央線に限った話なのだろうか?と。1つのものが、いつまでも安定稼働するという幻想を私たちは、事業・経営の中でも持っていないだろうか?と。

深夜まで閉じ込められて被害者的になりそうな中で、これは最高の学びになると思いながら、プラスの価値に還元した夜を万博会場で過ごしました。

また、こんな異常事態になっているのに、ほとんど状況説明もないのはどういうことなのか?ましてや英語のアナウンスは皆無に等しい状況を数時間過ごしましたが、これも、自社の経営においても、他人事と言えるのだろうか?と。

想定が甘いと、世間の出来事でメディアはたたくわけですが、自社の想定について、万博の例を引き合いに、点検してみることが経営に関与する人間の賢明な行為なのではないかと考えました。

奥日光

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中禅寺湖とあわせて訪れた戦場ヶ原。
酷暑で空を見上げる余裕のなかった筆者が、涼しくてさわやかな青空を望む
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中禅寺湖湖畔の青空、水面の静けさ、爽やかな空気に心洗われている筆者

どんなに暑くても、どんなに温暖化が進んではいても、標高を変えると劇的なまでに快適さが手に入るということを奥日光で体感しました。

標高の高い土地に今後、大きな価値が生まれてくるのではないかという普段考えたことのない問いがめぐりました。

標高を変えて避暑地で過ごすがごとく、ビジネスも環境が厳しくとも、少しだけ工夫をすることで、大きく状況が変わることを予感します。

自社の事業における「標高」とは何だろうか?と考え始めました。

大須商店街

例えば、衰退の一途をたどった過去から、奇跡的な復活を遂げ賑わいを取り戻した名古屋大須の商店街をそぞろ歩いた時。

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賑わいを取り戻して活況の大須商店街

1つ1つのお店ではどうにもならない衰退をしていた状況の中、地元アイドルなどによるイベント、お祭りを年間100回も開催し、即時的効果ではなく、「行けば面白い場所」としてまずは焦らず印象付けることに徹した商店街の腰を落ち着けた仕掛け。あるいは、過去にはいなかった雑多な外部者(外国人含む)をごった煮のように、受容しながら、新しい血を受け入れて、賑わいを取り戻した展開。しかし、それだけでなく、無線やラジオ部品などを扱うビルを建てて、ミニ秋葉原を目指したという、1つの目立つ仕掛けが発展の原点にはありました。

我々の経営において、目立つ仕掛けを1つあげるとすればなんでしょうか?
あれこれ、ちりばめていても、なに1つ目立たないということがないのだろうか?
新しい血を入れ続けているだろうか?自社だけでできることに終始していないだろうか?

そんなことを大須商店街の賑わいの中、深く考えさせられました。

小豆島の醤油工場、深夜の関西万博、涼しい中禅寺湖湖畔、賑わいを取り戻した大須商店街・・・・2025年、物理的に視点を変えて得た気づきがありました。

皆様は、部屋の中にいるだけで、視点を変えろと言っていませんか?
頭の中だけ変えるのではなく、物理的に立ち位置や景色を変えてみませんか?

これから秋が近づいてきます。出かけやすい季節です。
バーチャルではなく、リアルな視点の変化を起こしながら、実りの秋になりますように。