時間

加野 孝

「時間」というものについて考えさせられることがありました。1つは、鉄道博物館に訪れた時。もう1つは最近、急に利用機会の増えてきているAIを活用している時。今回は、これらの時に考えさせられた「時間」というものについて書いてみます。

関西出張の合間に、京都梅小路の鉄道博物館に足を運ぶ機会があり、鉄道の歴史を知るとともに時間について考えることとなりました。梅小路には小学校時代に一度訪れて以来、ほぼ50年ぶりの訪問でした。

出張でよく新幹線を利用するのですが、現在、のぞみ号で移動すると、所要時間は、東京―新大阪で2時間21分から30分程度。1958年に登場した初代のこだま号の所要時間は、東京―大阪間で6時間50分だったそうです。こだま号登場前の特急列車「はと」「つばめ」などの時代だと7時間30分から8時間だったそうです。その後、東海道新幹線開業時には「ひかり」で4時間に短縮され、その後の技術革新で、現在の2時間21分にまで短縮されています。

このように、交通手段の発達によって私たちの移動時間は、多くの地域において短縮の一途をたどっています。

ちなみに、鉄道の所要時間だけでなく、様々な領域においても「時短」が探求・実現されているように見えます。家電による家事の時短。ICT技術による調査作業、会議・会合関連工数の時短。金融DXの発達による決済作業の時短。様々な領域で、私たちは時間を節約してきました。

さらに、この数年、爆発的速度で普及をしているAIを私も日常で使うようになり、単なる調査だけでなく、思考や分析作業においても、相当の時短が進んでいます。本当に、あらゆる領域で時短が進んでいる実感があります。

在来線特急時代のこだま号車両

一方、私たち日本人の「人生の時間」=「寿命」は長寿化の一途を辿っています。2019年のデータにおいては、1955年と比べて男性の平均寿命は約18年長くなり、女性だと20年ほど長くなっています。

時短が進み、かつ、寿命が延びているということは、どう考えても余暇や休息時間が増えそうですが、日本人の睡眠は減少傾向が続いており、空いた時間は、睡眠には充当されていないと思われます。余暇や休息時間がかなり増加していると推察できます。

ここまで考えてくると、既存の仕事や家事の効率化は進んでいて、寿命も延びているが、生み出された時間を、本当に個人の人生や社会が豊かになるように使えているのだろうか?という問いが私の中で湧いてきました。

仕事時間や既存の家事などについての時間の使い方をいったん脇において、余剰時間の使い方を深堀して分析してみることが必要な気がしてきました。

  • 余剰時間を無駄な使い方をしていないのか?
  • 使途不明金という言葉がありますが、使途不明時間が増加していないだろうか?
  • 設備投資・IT投資、あるいは人員増加、人材開発投資をした結果、使途不明時間が増えていないだろうか?

時短をすれば何かいいことがあるだろう。設備投資と効率化をすれば何かいいことがあるだろう。そのように考えるだけでは、使途不明時間の増加だけに終わる恐れがあるのではないでしょうか。

意図した「無駄」、意図した「アイドリング時間」。たとえば、公園で1時間ボーとしてみようと思ってぼーっとした1時間と、なんとなく流されて予想外に時間を浪費してしまったネットサーフィン、あるいは、無意識に過ぎてしまった時間は、意味が全く違います。

長くなったといっても、人生は1回きり。
「使命感」とは「命を使う」と書くとも言えますね。

「命」はDXやAIや法律改正をもってしても、「2回」になりません。

1回きりの人生における「余剰時間」の使い方。
「効率化」で生み出される組織と個人の「余剰時間」の最適な使い方。

どこまでを意図したアイドリング時間として利用し、どこからは特定の具体的な目的を持った使い方をしていくのか。
これを「余剰時間」に考えてみませんか。